- 2016-10-8
- 社会

日本には欧米に比べて多くの祝日があります。
その中で4月29日の祝日が昭和の日です。
昭和の日は以前はみどりの日と呼ばれていました。
そして、みどりの日より以前は昭和天皇の天皇誕生日と呼ばれていました。
ここでおかしいと思うことはありませんか?
なぜ昭和天皇の誕生日が由来の祝日があるのに大正天皇や明治天皇の誕生日は祝日ではないのでしょうか?
さらに、なぜ昭和の日があるのに大正の日や明治の日は存在しないのでしょうか?
そんな風に疑問に思っていた方も多いと思います。
実は今、国会内で明治の日を制定する動きが活発化しているようです。
ここではなぜ今になって明治の日が祝日として推進される意味や由来について詳しく説明していきます。
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明治の日を祝日に推進するには意味がある。政府内での議論とは?
政府より明治維新から数えて150年目を迎える2018年に明治の日記念事業を行う事が発表されました。
記念事業の一つに政府主催の式典が含まれており、日本の近代化を作った明治時代がどんな時代なのかを次の世代に伝える内容になるそうです。
明治時代は今現在の強い日本を作った礎となった日本史の中でも非常に重要な時期です。
江戸時代から明治時代への激動の時代でした。
そんな中、今の強い日本のベースを作ってきた明治の人々の精神を学び、日本の強みを再認識させる狙いがあるようです。
政府ではすでに推進室を立ち上げ、更なる具体的な事業計画の作成に着手したようです。
しかし、記念事業や記念式典といっても我々おとな男子には余り興味はありませんよね?
やはり気になるのは明治の日が制定されて明治の日が新しい祝日になるのかということではないでしょうか?
実はすでに明治の日を制定する議論は自民党内の安倍晋三首相に近い議員たちの間で動き出しているようです。
しかし、想定されているのは11月3日。
残念ながら文化の日ですね。
11月3日はそもそも明治天皇の誕生日でもあります。
つまり昭和天皇の誕生日⇒みどりの日⇒昭和の日と同じ流れで、明治天皇の誕生部⇒文化の日⇒明治の日と名称のみが変更になるだけのようです。
その為、もし明治の日が制定されたとして祝日が増えるという事にはなら無そうです。
ちなみに明治維新から100年目の1968年にも日本政府は100年記念式典を開催していました。
式典は昭和天皇や当時の首相である佐藤栄作首相など約9000名ほどが参加する大掛かりなものでした。
しかし、その際は明治の日は制定される事はありませんでした。
明治維新から150年目の2018年、今回こそ明治の日が制定されることになるのでしょうか?
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明治の日制定計画の由来となる明治維新。明治維新を簡単に説明します。
学生時代、必ず授業で習っているはずの明治維新。
真面目なおとな男子であれば授業中にしっかりとノートをとり、明治維新について詳しく理解しているはずです。
しかし、時間と共に記憶は曖昧になるものです。
明治の日を作る動きのきっかけとなっている明治維新。
そんな明治維新についておさらいしておきましょう。
明治維新とはどんな出来事?
江戸時代から明治時代にかけては激動の時代でした。
明治維新は1853年にペリーが浦賀に来航した事から始まりました。
目的は日本の開国です。
江戸時代、江戸幕府は海外の文化が日本に入り込まないように一部の国との取引を除き基本的に鎖国を行っていました。
一部の国とはポルトガルなどで、当時は長崎の出島などでごく少量の貿易取引を行っていました。
そこに黒船に乗って浦賀に来航したのがペリーです。
ペリーは江戸幕府に威圧的な態度で開国を強く迫りました。
開国を迫る背景はアメリカのゴールドラッシュによる好景気。
このころのアメリカは好景気を背景に世界中に景気の良い商売を求めビジネスの規模を広げていったのです。
そして日本は1854年に日米和親条約を締結し、函館と下田を開港することになりました。
日本が開国を許した本当の理由
日本が開港の提案を受け入れてい待ったのには理由があります。
それはアメリカの軍事力です。
当時、浦賀に来航した黒船は大きな大砲が付いた軍艦です。
それを見た多くの一部の江戸幕府の役人は怖気好き、アメリカの強気の交渉に及び腰になっていました。
この頃、開国についての議論を行う幕府内で一騒動起こっていました。
それは江戸幕府内の開国派と開国を拒否してアメリカと戦うという意見の対立です。
そしてこの幕府内の揉め事の間に及び腰の幕府に対する不満が高まり、倒幕運動の動きが高まりました。
天皇中心の政府を作る志をもった薩摩藩と長州藩(薩長同盟)が手を組み戊辰戦争が勃発するのです。
戦争は天皇中心はの薩長同盟の勝利に幕を閉じました。
この戦争により江戸幕府は敗れ、長かった江戸時代に終止符が打たれる事になりました。
そしてこの戦いにかった薩長同盟が目指した天皇中心の政府が始まり、日本は開国から近代化の道を歩む事になったのです。
明治の日は文化の日からの名称変更。では大正の日はどうなる?
大正天皇の誕生日は8月31日です。
しかし、8月31日は祝日ではなく平日です。
なぜ大正の日、若しくは大正天皇の誕生日にちなんだ祝日は存在していないのでしょうか?
理由は様々あるようですが、理由は大きく分けて二つあるようです。
- 大正時代が15年と短かった
- 誰も大正の日を制定しようと言い出さなかった
誰も言い出さなかったとはなんだかさびしいですが明治天皇や昭和天皇のように多いな偉業を残していないという事が大きいようです。
そもそも天皇家はすでに100代を超えています。
仮に全ての天皇の誕生日を祝日にしてしまうとしたら日本は祝日だらけになってしまいますね。
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